沿革
キッコーマン労働組合の歩み
- 1927年~28年
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- 野田争議(戦前最大218日間のストライキ) ※後に労働組合は解散
- 1945年
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- 労働組合法制定(12月22日制定、翌年3月1日公布)
- 1946年
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- 野田醤油関西工場従業員組合結成(1月12日)
- 野田醤油従業員組合結成(2月9日)
結成大会記録の1ページ目
- 戦後初のメーデー、全国で240万人が参加(5月1日)
- 経済団体連合会(経団連)発足(8月)
- 第1回経営協議会開催(9月20日) ※1950年に労働協議会、1954年に労使協議会に名称変更
経営協議会の様子
- 1947年
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- GHQのマッカーサー司令官よりゼネラルストライキ中止命令(1月31日)
- 野田地区で戦後初のメーデー、2,500人が参加(5月1日)
- 日本労働組合総同盟(総同盟)への加入決定(8月11日) ※1954年脱退
- 全国食品産業同盟(全食同盟)結成(10月6日)
- 1948年
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- 1949年
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- 野田と関西組合による、野田醤油従業員組合連合会を結成(10月4日)
- 大会で議案書を初めて印刷して配布。また、闘争資金の積立と闘争手段として時間外闘争を可決(11月25日)
- 労働組合法全面改正(6月1日)
- 1950年
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- 1951年
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- 1952年
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- 1954年
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- 日本労働組合総同盟、全国食品産業同盟からの脱退を決定(6月13日)
- 全食品労組協議会(全食労協)結成・加盟(11月11日)
- 1955年
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- 1957年
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- 野田と関西組合を単一化し、野田醤油労働組合を結成(9月15日)
結成大会を報じる組合機関紙
- 1959年
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- 1960年
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- キッコーマン労働会館落成(2月)
労働会館竣工式
- 1963年
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- 組合員のOB組織である「紫交会」発足(3月19日)
- 1964年
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- 野田醤油株式会社からキッコーマン醤油株式会社に名称変更
- 1965年
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- 全食品労組協議会が全日本食品産業労働組合連合会(食品労連)に移行(9月29日)
- 1968年
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- 野田醤油労働組合をキッコーマン醤油労働組合に名称変更決定(8月25日)
名称変更を決定した第12回定期大会
- 1973年
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- 関西地区(現:高砂工場支部)労働会館竣工式(1月19日)
- 1976年
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- 日刊紙(現:春闘プレス)発行開始(3月)
雨中に日刊紙を配布する様子
- 1980年
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- キッコーマン醤油株式会社からキッコーマン株式会社に変更(8月)
- キッコーマン関連労働組合連絡協議会(関連労協)結成(11月12日)
- 1981年
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- 1984年
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- 1985年
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- 1987年
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- 新綱領を機関決定(8月22日)
- 全日本民間労働組合連合会(民間連合)結成(11月20日)
- 1989年
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- 全日本民間労働組合連合会(民間連合)に官公労等が合流し、日本労働組合総連合会(連合)発足(11月21日)
- 1991年
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- 日本食品関連産業労働組合連合会(食品連合)を結成・加盟(11月15日)
食品連合結成大会
- 1994年
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- キッコーマン労働組合「21世紀ビジョン」を機関決定(8月20日)
- 1995年
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- キッコーマン労働組合結成50周年記念大会(ユニオンマーク、マスコットを披露)
結成50周年記念式典
- 1998年
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- 2002年
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- 経済団体連合会(経団連)と日本経営者団体連盟(日経連)が統合し、日本経済団体連合会(経団連)が発足(5月28日)
- 日本食品関連産業労働組合連合会(食品連合)解散(11月18日)
- 日本食品関連産業労働組合総連合会(フード連合)結成・加盟(11月19日)
- 2011年
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- キッコーマングループ労働組合連合会発足(6月23日)
キッコーマングループ労働組合連合会発足式
- 2017年
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- ユニオンスローガン「誰かが、ではなく全員で。」を制定(7月19日)